デマや詐欺と進化する技術
情報リテラシー論第15回
いよいよ最終回。
前回から見ていた平成ネット史の後編。
ネットでの評価がお金(≒現実での評価)に変わる時代。
ビットコイン、フォロワー、いいね。
何が本当のつながりで、何が本当に自分が欲しい情報なのか、
結局は情報リテラシーが試されている。
そういえば、オフ会という言葉を知った時、逆だろとつい突っ込んでしまった。
デマの情報は多数出回っている。
芸能人のデマは日常茶飯事になった。
私は基本的にネットニュースなどを拡散協力するようなことはしないようにしている。
時代遅れのように感じるかもしれないが、個人の意見が混ざった、先入観の塊のようなネットニュースを拡散して、中にはダミーを拡散してしまうような現状では日本人のモラルを破壊しているように感じる。
情報を見定め、自分の中で、正しさを見つけていくと行くことに関しては、いくらインターネットか発達しようが、本来人間、日本人が持っている、人としてのモラル常識にもつながるのではないだろうか。
最後にVRを体験。見ているこの情報さえリアルに近づいた。
もし見ているこの情報が本物かどうかわからなくなったその時、
僕らの情報リテラシーは何を頼ればいいのだろうと少し未来に不安を感じた。
以上。
ラジオ離れと音声認識技術
情報リテラシー論第12回
私は中学生の頃ラジオをずっと録音して聞いていた。
オールナイトニッポン、ナイナイ。
新曲もMDなんかに録音してよく聴き直していた。
ラジオの本当の力は災害の時に発揮する。
3.11の時は62時間cm無しの特番体制を取ったそうだ。
ああいう不安な時は一番人の声が安心すると、
ラジオの力だと感じた。
以上。
様々な動画とネット配信
情報リテラシー論第10回
VineもミクチャもC CHANNELも、存在を初めて知った。
見た感じ思ったのは、それらでやっていたことは既に、InstagramやTik Tokでできるな、ということだ。新しくサービスを開始するときは、そうやって既存の「人気なもの」を吸収していくことで、人々が飛びつくようになるであろう。
でも、その進化を支えているのは、スマホ自体の改良や回線の改良なのだろう。
オリジナリティーとは何か、クリエイティブとは何か、
誰でもが簡単に作ることができ、発信してる時代でデザイナーやクリエーターの存在意義を問われているなと感じた。
ただシンプルに思うのは、ツールを覚えて知識を増やすだけでは
クリエイティブにはならないという持論がある。
そこには思考続ける能力と、根気と、意志が必要なのだろうと
若干自分が年老いている学生なのだろうなと実感した。
以上。
テレビの衰退と動画メディア
情報リテラシー論第9回
僕はテレビをほとんど見ないが、
映画は山のように観る。
それは僕自身が映画監督を目指している理由もあるが、もう一つ理由がある。
それはテレビにもあり得る(が映画を愛している)
その理由は後で言おう。
YouTubeでは、視聴回数1万回未満のチャンネルは広告が非表示となり、1万回以上のチャンネルでも審査を行い問題がない場合のみ収益化が有効となるらしい。
それは今の子供たちのなりたい職業ランキングにYouTuberがランクインしているのは、先生が言ったように不思議なことではないと思う。
まず要するに金持ちになれる、きっと子供達はそんな目線で見てないであろうが。
映画が無くならない理由として、テレビやスマホの画面が自ら光を発しているのと違い、映画は光を反射させているために見える世界の捉え方が普段の日常生活と同じだから……という見解があるようだ。
消費者はきっとそんな事は気にもとめてないであろう。
人が「お金を払ってでも今観に行きたい」と思える作品が作られているからではないだろうかと思う。簡単に言えば、内容が面白そうかどうかってことによると思う。価値がないと感じたらたら人は離れていく。
だが、僕は映画が良いなと思うのは一時的瞬間に同時に人々がその映像を観て体験できるという事だ。これはテレビの生中継であったら同じ事であろう。
つまり映画館にデートに行くのは、その子と同時に何かしら体験できるという事だ。
同じ感情になったりならなかったり。
特に映画館は雰囲気含めてのところもあるのでスマホでは残らない”記憶”になるだろう。
よこたんが最後にアンパンマンを見せてくれたのだが、
よこたん最後にこんな事を言っていた。
『3流は伝えたい事がわからない、2流は伝えたい事を口で言ってしまう、
そして1流は伝えたい事を作品の中に隠す』と。
映画監督になっても忘れないでいようと思った。
以上。